白鹿背山東光寺
〒527-0153
滋賀県東近江市平尾町7187
☎0749-46-1355
浄土宗知恩院門流(聖徳大使開山伝)
戒名「雪誉妙銷禅定尼」川瀬真広の曾祖母(祖母・母)
俗名「川瀬きさ」大正6年7月10日没・百回忌法要を勤めさせて頂きました。
大仏事なので親族一同勢揃いのはずなのですが、お恥ずかしながら色々親族間では意志の疎通がございまして、家内だけで厳かに遂行させて頂きました。南無阿弥陀仏・十念・合掌
眞空庵⇒BARBER・KAWASE⇒理容川瀬⇒川瀬理容院⇒髪結床屋川瀬
約100年超えの4代続く老舗のお店です、先々々代に使用されていた姿鏡が奉納されています。
今日まで何人もの人影を映してきました…、これも歴史です。
小川良道(今年還暦)東光寺住職と本堂へ…、すこし肌寒いぞっ!
新緑が目に優しい雨降る東光寺…、
私ごとですが…、現在は川瀬真広が家主の「川瀬家」は祖父と祖母が従兄結婚で祖父が川瀬家の分家(父の弟・叔父)にあたる祖母の家に婿養子とし入り4人の父(兄妹)を生み育てました。
祖父方の本家にあたる「川瀬家」は現在も祖父の長兄のご子息が九州の福岡で祀られておられます。
なので本家の曽祖父の実弟で分家でもあった祖母方の両親「常吉・きさ」が我が川瀬家・川瀬真広のご先祖様になります。
頑固で聞かん坊であった7人兄姉末男の亡き祖父の変な意地で建てられた本家・川瀬家の菩提(お墓)が現在の川瀬家の隣でに先から祀られておりました。
祖父・川瀬新左エ門・自身が入るべく川瀬家の墓も建てないで何故先に自分の生家の墓を建ててしまったのか?生前の亡き父も大変怒っておりました。
さらに…、その隣には、これまた祖父の理不尽な理屈で建てられた祖父の従兄(こちらも九州にて没後子孫もそのまま九州在住)のお墓が建ててあります。
実は、この本家ともいえる川瀬家のお墓建築の一件で九州の川瀬家(こちらが本流なのですが)と仲違いし現在に至ります。
これらの問題も亡き祖父が残した川瀬真広への大きな負の宿題の一角でもあります。(他にも多々ございまして…、)
遅ればせながらですが代々理美容を生業としてきた川瀬家のお墓は平成9年川瀬真広が建てさせて頂きました。これも世間では祖父が建てたかのように…、まっええけどね!いまさら…、
その後も、この3軒のお墓を川瀬真広の代がなんとか…、細々とお守をさせて頂いております。
知らぬがなんとか?で地元親戚はじめ父の兄妹や祖父の兄妹末裔さんたちも同じようにそれぞれの家庭やお墓を護るの精一杯なはずですが…、現時点で川瀬家に最後に生まれた川瀬真広には言いやすいのか?普段は知らん顔ばかりで何事の時にだけ文句や批判を陰で言われております。
祖父7人祖母4人父3人母4人従兄従妹…、比曾孫である真広の代まで家系図をたどると余裕で100人の大法事になるのですが…、いやはや、なんとも…、ですよね、ほんま皆んな解ってるんかっ?って!
言いたい奴には言わせておけ!知らん知らんの!川瀬真広は今日も我が道を突き進みます(笑)
皆さんお墓参りしてますか?
めんどう…、ついでに…、はいただけません。
亡くなっていても親は親その先はご先祖様です。
今この世で懸命に生きる己の始祖根元なのです。
粗末にするということは自分自身をも否定する!
と考える川瀬真広なのでした。(えらそうに…、)
来年は祖父の七回忌が次々年には曾祖父(祖母の父)の100回忌を勤めさせて頂きます。
毎年いつでも南無阿弥陀仏・十念・合掌です。感謝
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