2009年6月20日(土曜日)友引
めでたく眞空庵の開店です!
(駐車場の舗装整備が未だですが・・・、^^;)
注(^^ゞ⇒こちらは2008年7月~2009年7月
眞空庵が完成するまでの記録画像です。
お得意様には本当に長い間ご不憫をお掛けしました、
各工事関係者様には長期間お世話になりました・・・、
長きに渡り全ての方々、皆様に感謝で御座います。
さらに、ありがたく多くの皆さまからお祝い品々・・・、
重ねて、誠に有難う御座いました!(大感謝^^;)
記念すべき眞空庵で第①号のお客様は・・・、
続いて、潤平とマサ母さんも御来店です・・・、^^;
さらに続きまして、Chi-チャン、宏さん&英さん、
そして、ご存じ光勇士に、川瀬重樹君まで・・・、
掲載以外にも多くの方々がご来店下さいました!
(忙しくて写真を撮る間がなく大変失礼しました^^;)
掲載以外にも多くの方々がご来店下さいました!
(忙しくて写真を撮る間がなく大変失礼しました^^;)
皆さん、本当にありがとうございます!(^^ゞ
開店当日は地に足がつかないというか・・・、(^_^;)
余所のお店で仕事をしている気分の一日でした。
余所のお店で仕事をしている気分の一日でした。
これからも末永く宜しくお願い致します!(大感謝)
初心忘れるべからず!
初心忘れるべからず!
若き理美容師さん達へ・・・、
親子経営に悩んでおられる若き理美容師さん、必ずひと悶着されていることと心配しております。
先々代や先代も同じ職人気質なのです、そうやすやすとは折れてくれないことと存じます。
正直、私も父親は亡くなるまで、祖父が100歳を超える一生涯、全くの平行線でした・・・、
一先ず今は我慢して家業にに励んで下さい、こんな私でも20年間とういう時間を費やしました。
皆さんも大変な苦労をなされて理美容師になったんですから、絶対に夢はあきらめないで下さい!
こんな猿や鹿など獣の方が多い人口数の田園地域でも、やればできるんですから・・・、(笑)
先々代や先代も同じ職人気質なのです、そうやすやすとは折れてくれないことと存じます。
正直、私も父親は亡くなるまで、祖父が100歳を超える一生涯、全くの平行線でした・・・、
一先ず今は我慢して家業にに励んで下さい、こんな私でも20年間とういう時間を費やしました。
皆さんも大変な苦労をなされて理美容師になったんですから、絶対に夢はあきらめないで下さい!
こんな猿や鹿など獣の方が多い人口数の田園地域でも、やればできるんですから・・・、(笑)
「この道より我を生かす道は無し」武者小路実篤氏のお言葉に自分を奮い立たせながら、
この書を見るにつけ足元を見つめ直し、先ずはできることから始めるようにしました!
もちろん精神論も大事ですが、一番で気になるところの資金面だと思われます、
私は両親はじめ先祖からの援助は一切受けておらず、自己預金と大半以上が借金です。
猛反対されるくらいですので少し期待もいていたのですが、それは見事に打ち砕かれました!(失笑)
見事に預金の類は全く我が家にはありませんでした!(それどころか借金が800万円ほど・・・、汗)
理容組合員においては唯一頼みの綱である国民金融公庫ですら、経営以外の目的外に・・・、
おまけに確定申告はドンブリ勘定の白色でしたので、その他の金融機関も相手にはしてくれません!
このまま会計を親に任せていても自店の未来は無い!と見切りをつけ大喧嘩の末奪い取りました。
その代りにお店への労働力も頼らず、家長としても文句を言われないよう自身で全て請負ました。
現在営業するこの土地と長年のお得意様を引き継がせて頂いたので、恩恵は大きいのでしょうが・・・、
先ず税理士さんに相談し、自ら確定申告の修正をして過去5年分の追徴課税金を支払いました。
同時に自己資金用の預貯金も始めながら、資金繰りを含めて約5年の歳月が経過してしまいました。
さぁ!やっと金融機関と融資の相談ができる、と思った矢先に父の突然死・・・、
運命の悪戯か?と心が折れましたが、何時かはきっと!と心の片隅で想い続けていました。
そんなこんなで紆余曲折しながらも、自己資金の確保と正当な国税を納め続けて早20年・・・、
無事に融資も希望額が通るようになり、自身の思い描くお店への第一歩が踏み出せました!
最期の難関であった祖父も工事着工当日にイキナリ報告、主が祖父の隠居を破壊する!
という、手荒な強行手段ではじまったリニューアル工事でしたが・・・、(冷汗)
何度も手を変え人を変え説得して納得もするんですが、翌日には気が変るの繰り返しで・・・、
まったくもって山あり谷あり色んなこともあります、代々続くお客様も流動的に入れ替わります。
「なんや、息子のお前が散髪するのか?」的に見下されることも多々あるかと思います。
理容師歴29年の経験上ですが、一人のお客様が去れば、また新しい出逢いがあるもんです。
本当に不思議とそういうもんなんです・・・、
だから立ち止まらずに頑張って下さい、ゆっくりでも攻めの一手で必ず報われます、絶対に!
1968年に代々続く床屋(散髪屋)に生まれ、幼少期より家業を継ぐことを当たり前の様に育ちます。
学生時代には多種多様のアルバイトを経験しつつ、何店舗かの理容店でも従事していました。
その頃、モデルとして参加した理容技術競技大会の研究団体「滋賀クラージュ」にて・・・、
人生のターニングポイントがあればここだ!とばかりのカルチャーショックをうけます。
それまで見てきた理容師達とは明らかに違う人たちが、真剣勝負で技術を切磋琢磨されており、
鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えています。
鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えています。
中村進氏の様な理容人になって、床龍のようなお店で仕事がしたい!
おのずと氏への弟子入り(当時の理容界では住み込みで丁稚奉公が主流)を志願しましたが、
当然の如く、人気店につき当時6名のお弟子さんがおられ、残念ながら願いは叶いませんでした。
当然の如く、人気店につき当時6名のお弟子さんがおられ、残念ながら願いは叶いませんでした。
しかし中村氏は、私の熱意に応えようといろいろと尽力してくださいました。
そして氏の親友である、草津市「カットハウスムラキ・村城光男氏」を紹介して頂きました。
さらに「一人前の理容師に育ててやってくれ」と我が子のように嘆願してくださり、
村城光男氏も快諾してくださいました。
村城光男氏も快諾してくださいました。
ここで、理容師としてもですが人間としての一生涯の人生の師匠に出会うことになりました。
正に運命的な出合いでした!
善は急げです、早速翌日よりカットハウスムラキでの住み込み修行が始まりました。
それまで何不自由なく気ままに育った私において、人生の中で一番辛い時期を過ごしました。
しかし、村城先生には厳しさの中にも大きく深い優しさで指導して頂き、
技術以上に世に恥じない礼儀作法もふまえ、愛情一杯に指導(育てて)頂きました。
現在でも技術はもちろん人生路において、なにか困ることや「壁」に直面したときは、
村城家で培ったことに多く救われます。(感謝)
村城家で培ったことに多く救われます。(感謝)
そして、これからも多々あろうかと思われる困難な場面でも、乗り越えられることと思います。
まさに、「精神と心の糧」を頂ました。
他にも伝えきれないほどの恩恵を受けましたが、書き出すときりが無いので省略します。
さらに、滋賀クラージュで一緒に頑張れた、ライバルでもある仲間達との出逢い・・・、
それを指導するコーチ陣との巡りあいいも、大変すばらしい「縁」だったと思います。
今も皆さんとは本当いいお付き合いさせて頂いています。
それを指導するコーチ陣との巡りあいいも、大変すばらしい「縁」だったと思います。
今も皆さんとは本当いいお付き合いさせて頂いています。
「同じ釜の飯という言葉」がありますが・・・、
苦楽を共にしてきた仲間たちは、家族・兄弟以上の信頼関係で結ばれている様に思います。
私は当時から少し逸脱したとこもあり、皆は迷惑していたかもしれませんが、今もか…(苦笑)
苦楽を共にしてきた仲間たちは、家族・兄弟以上の信頼関係で結ばれている様に思います。
私は当時から少し逸脱したとこもあり、皆は迷惑していたかもしれませんが、今もか…(苦笑)
今から思えばまだまだでしたが、村城光男先生指導の下での修行から一旦お暇を頂き、
1991年より自宅での修行となり、結婚もして家業を継がせて頂く運びとなりました。
店構えから仕事内容まで、昭和一桁生まれの親夫婦が守ってきた場所です。
時代の流れが止まったところへ、時代の流れに乗ろうとするものが帰ってきたのです。
そのギャップの激しさに、生まれ育った実家で何も変わらない環境のはずなのに、
まるで他人の家へ、否、違うお店に入店したかの錯角さえも覚えたくらいでした。
『本当の苦労は自分で店をしてから…』
まるで他人の家へ、否、違うお店に入店したかの錯角さえも覚えたくらいでした。
『本当の苦労は自分で店をしてから…』
何時か村城先生に言われた言葉を痛感していました。
約20年間、両親や祖父との経営理念や方針の違いによる確執、一部お客様からのご批判・・・。
そのせいで長年お得意様には古くでボロイ、決して快適とはいえないお店で我慢して頂いたのは、
本当に申し訳なく心苦しかったんですが、その方々への報いをさせて頂くのと感謝を忘れずに、
十二分に考えられる時間もありましたので、落ち着いて新しいお店つくりができたのは幸いです。
自分のモチベーションの問題が一番だったのかも知れませんが・・・、
長い時間があったおかげで色んな客様を頭に思い描き、シュミレーションも出来ました。
勿論、お客様を第一に考えて自分の理念である「癒」と「憩」の空間をコンセプトにですが・・・、
そのせいで長年お得意様には古くでボロイ、決して快適とはいえないお店で我慢して頂いたのは、
本当に申し訳なく心苦しかったんですが、その方々への報いをさせて頂くのと感謝を忘れずに、
十二分に考えられる時間もありましたので、落ち着いて新しいお店つくりができたのは幸いです。
自分のモチベーションの問題が一番だったのかも知れませんが・・・、
長い時間があったおかげで色んな客様を頭に思い描き、シュミレーションも出来ました。
勿論、お客様を第一に考えて自分の理念である「癒」と「憩」の空間をコンセプトにですが・・・、
しかし、これからも悩み迷いながら、お店創りをしていくこととおもいます。
お店は新しくても中身が変わらなければ意味がありません。
お店は新しくても中身が変わらなければ意味がありません。
綺麗で素敵なお店に見合う様に、これからもいっそう努力し精進していきたいと思います。
今まで関わらせて頂いた全ての方々のお陰に感謝をして、その御恩に報いるが為に・・・、
今まで関わらせて頂いた全ての方々のお陰に感謝をして、その御恩に報いるが為に・・・、
眞空庵・主 川瀬真広
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