2013年2月28日木曜日

祖母「美佐江」二十七回忌法要





本来ならば命日にするのが正式ですが・・・、
休日である先の月曜日に、祖母「川瀬美佐江」の二十七回忌法要を営みました。
積雪のなか、願い寺「東光寺」さんの本堂と、川瀬家のお墓へお参りしました。

昭和62年3月2日、主の祖母・美佐江の葬式も、膝まで積もる季節外れの大雪でした。
月・日が経つのは速いもので26年前になるんですね、主はその当時まだ19歳でした・・・、

早朝から夜まで営む、理容店とういう商売柄なのかしれませんが・・・、
主は乳児、いや、物心ついてからも母親とお風呂に入ったことはありません。
変な話ですが、乳幼児期は寝付くまで、祖母のおっぱいで遊んでいた記憶が御座います。^^;
お風呂も、寝るのも、旅行はじめ何処へ行くのも、すべて祖母が一緒でした。
家族の中では一番優しくて可愛がってくれた、そんな祖母が大好きでした!^^;

祖父と同じ年で従妹夫婦だった祖母は、102歳のという長寿の祖父と違い78歳で他界しました。
晩年は自宅で床に伏せたままで、いわゆる寝たきりでした。
主が小学校・中学年位の頃から、老人ボケの症状がではじめ、その後約10年間苦しむことに・・・、

先ずは些細いな物忘れから始まり、そのうち言葉も忘れて、ただ泣くか笑うだけでした。
もちろん下(大・小便)の方も忘れてしまい、いわゆる赤ちゃん戻りの状態でした。
今でこそ認知症や痴ほう症といった正式な病名があり、治療や介護なども充実していますが、
当時はまだまだ・・・、

いくら自宅が店舗といっても、お客様中心の商売です。
祖母を四六時中介護することは無理です。
なので、自宅の全戸扉に内鍵を付けて軟禁状態で対策をしていました。
可哀そうなのですが、そうするしか仕方がありませんでした・・・、
「お願いやし開けてーなー!」とは、言葉を忘れた祖母には言えませんでしたが、
戸をドンドンと激しく叩く音が、家族皆には悲痛な叫びに聞こえていました。
その祖母の渾身の訴えに対し、幼き主は涙ながらに堪えていたのを今でも鮮明に覚えています。

そうせざる得なかったのは、祖母は屋外へ出て徘徊することが多々あったからです。
何かの目的で家を後にしたが何処へ行くのか、はたまた自分の帰る家も忘れてしまう状態でした。
一度大騒ぎになって、地元消防団と住民の皆さんに、山狩り捜索をして頂いたこともありました。
時には何故か、京都府内の片田舎で保護されたこともありました・・・。
今となっては可哀そうなことと思いますが、当時はそうするしか仕方が無かったんだと思います。

仕事も引退して隠居する祖父が、介護することが最善の策ですが、これがまた情けないことに・・・、
明治生まれの自分本位な超~遊び人だった祖父は、最愛の妻である祖母の事は完全に放任でした!(怒)

そんな、悔しくて哀しいこともですが・・・、
当時返還されたばかりの沖縄はじめ、祖父母の兄弟が住む九州各地、地元保養地などなど、
健康だった頃の祖母と、色んな所へ旅した楽しい思いでも一杯あります。
もちろん、日ごろから愛情いっぱいに主を可愛がってくれたのは、言うまでもありません!^^;

年忌回向は故人を偲ぶ為でもあるんだ!なと実感します。
住職の読経が流れる法要中「喜怒哀楽」、色んな思い出が走馬灯のよう頭を駆け巡りました。
熱いものを胸に感じながら、亡き祖母の思い出に浸っている幼き頃の主がそこに居ました。

お婆ちゃん、あの世で元気に暮らせてますか?^^;
南無阿弥陀仏・・・、(合掌)






TWBC 2013
2013 4/8Mon 4/9Tue
大阪国際会議場(グランキューブ大阪)
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TRUE-HEART HERMITAGE

滋賀県東近江市「眞空庵」という理美容店を営ませて頂いております。
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